2009年11月02日 16:53

ドラムマシン丸出しファンク10選 - Dam-Funk「Toeachizown」発売記念

Toeachizown Dam-Funkロサンゼルスからのブギーファンク大使。

[音楽/レビュー]
タイトル : Toeachizown
アーティスト : Dam-Funk
レーベル : Stones Throw
リリース年 : 2009/10

自分はずっと「ダムファンク」と読んでましたが、日本のiTunes Storeによると、Dam-Funkの正しい日本語表記は、ひらがなで「でいむふぁんく」だそうです(→iTunesStore:追記・今見たらその記述が無くなってました)。なんという80年代ノリ。また、Dam-Funkのaの上にはニョロニョロとしたものが付いて「Dãm-Funk」と綴るのが正確です。

これがDTMじゃなくて生演奏一発録り多重録音だというから、最初から格が違います。本物が出てきてこれやられたら、コンピューターで作ったそれっぽいだけのものなんて、子供の喧嘩に大人が銃器もって登場するようなもので、木っ端みじんです。

ブ厚いドラムマシンのファンクビートにブ厚いシンセベース、スウィープするシンセホーン。これ以上に何が必要でしょうか。90年代に多くのG-Funk系アーティストのレコーディングでキーボーディストを務めていたという経歴が燦然と輝いています。

デビューアルバムはCDギッシリ2枚組。アナログ5枚組。さらにMP3のダウンロード版にしか入って無い曲まであるっていうんだから、脳の処理スピードがまったく追いつきません。まだCDしか聴く気が起こりません。

さて、Dam-Funkのデビューアルバム発売記念ということで、ドラムマシンが丸出しでシンセがギラギラしたファンク、くわえてDam-Funkのような都会的なスウィートさを持ったファンクの名曲を10曲選んでみました。Dam-Funkを肴に自分の好きな曲を10曲並べただけだと言われればそれまでです。

■ Mtume - Juicy Fruit

Dam-Funkの音を初めて聴いた時に連想したのはこの曲でした。70年代Miles Davisエレクトリック期のバンドでパーカッションを務めた男をも魅了する、ドラムマシン丸出しファンクの素晴らしき世界。1982年。

■ Cameo - Attack Me With Your Love

70年代後発デビュー組の大所帯ファンクバンドが80年代に入ってリストラを敢行。まずホーン隊が居なくなり、コーラスが居なくなり、ドラムが居なくなり…、とエレクトリック化をすすめていくのが80年代ファンクの王道コースです。1985年。

■ One Way - Shake it 'till it's tight

こちらもリストラファンク。1983年。バラードは泥のように甘く、ファンクはバキバキにエレクトリックという変なバンド from デトロイト。

■ Sharon Redd - Never Give You Up

王道ファンクに限らず、こうした80年代初期のディスコとハウスの過渡期的なサウンドもDam-Funkの個性のひとつです。定義があやふやなのですが、この辺の音を「エレクトリック・ブギー(またはエレクトロ・ブギー、ブギー・ダウン、単にブギー)」というジャンル名で呼びます。1982年。

■ Shuggie Otis - XL 30

これはドラムマシンじゃなくてリズムボックス。リズムボックスとドラムマシンの違いは、最初から機械に入っている「ロック」「ディスコ」「ラテン」などプリセットのリズムパターンしか鳴らせないのがリズムボックス、リズムをゼロからプログラムできるのがドラムマシンです。使われてるキーボードは、シンセじゃなくてオルガンです。1974年。

■ Timmy Thomas - Why Can't We Live Together

リズムボックスその2。これもシンセじゃなくてオルガンです。1974年。ちなみに、Dam-Funkの多くの曲で聴こえるドラムマシンの音はLinn Drumの音です。Linn Drumに限らず、DXやHR16など、多数のヴィンテージなドラムマシン(サンプリングじゃなくて実機!)を使い分けているようです。

■ Marvin Gaye - Sexual Healing

Roland TR-808を使った最初のヒット曲と言われています。1982年。

■ Paul Hardcastle - Rainforest

エレクトロのクラシック「19」で有名なイギリスのシンセ奏者。1984年。耳ざわりの良い甘いシンセサウンドと打ち込みのダンスビートの融合というアイデアの先駆けのひとつ。「American Idol」の制作会社「19 Management」の社長はPaul Hardcastleの元マネージャーで、社名はそこから。

■ LL Cool J - I Need Love

ラップ・ヒップホップ初のラブバラードと言われるこの曲もドラムマシン丸出し。1987年。LL Cool Jは「Ladies Love Cool James」の略です。

■ George Clinton - Nubian Nut

G-Funkを遡れば当然P-Funkに辿り着きます。シンセやリズムボックスの導入に積極的だったP-Funkの総帥George Clintonがドラムマシンを最初に使ったのは、恐らくこの曲。1983年。

もちろんプリンスの曲からも一曲選ぼうとしましたが、YouTubeにまったく動画がありません。プリンスのYouTubeに対する厳しい態度は「ポルノや暴力、映画はキッチリ取り締まるのに、YouTubeはわざと音楽だけ野放しにしてる。大企業の更なる誇大化のために音楽を利用するのはけしからん」というところから来るものです。一曲選ぶなら「The Ballad Of Dorothy Parker」(→iTunesStore)、アルバム一枚選ぶなら「1999」(→iTunesStore)です。

以上、10曲です。

1982年〜1983年頃の曲が多いのは、この80年代前半の時期にTR-808やLinnDrumなど、名機と誉れ高いドラムマシンの多くが誕生しているからで、これが1984年以降になると、ドラムマシンの音にエフェクトをかけることで生楽器っぽくしたり派手にしたりの工夫が施されるようになって、ドラムマシン丸出し感が無くなっていってしまいます。丸出しサウンドを愛するものとしては、1981年〜1983年が黄金期となります。

Dam-Funkのルーツがどのあたりにあるのか、本人がインタビューの中で語っています。

■ Interview: Dam Funk(FACT)

70年代後半から80年代前中期、1978年-87年のファンク・ガラージュ/ディスコ・ブギー。そして、80年代のミネアポリスファンク。それらはディスコ後に起こったスタイルで、商業主義に蹂躙される以前の音楽だよ。

一番好きなファンクの曲は、当然Funkadelic「(Not just) Knee Deep」だね。Warner Bros 1979年。15分間の素晴らしい音楽。De La Soul が「Me, Myself and I」でサンプリングした曲だ。

Slave、Aurra、One Way、Wizard、そしてPrince。プリンスは大好きだよ。ソロのアーティストとして音楽を作る上で、自分のスタイルに彼から受けた影響は一番大きいよ。(略)間違いなくプリンスの影響は大きいな。 あとBarry White(笑)。

なるほど、プリンスやP-Funkの影響は当然気づいていましたが、それだけでは解きほぐせないこのスウィートな感じはBarry Whiteからの影響でしたか。

■ 関連サイト

Review : 2009年11月02日 16:53

ブックマーク

Yahoo!ブックマークGoogleBuzzurlニフティクリップlivedorr clipdel.icio.usはてなブックマークドラムマシン丸出しファンク10選 - Dam-Funk「Toeachizown」発売記念のはてなブックマーク数

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL :
http://www.spotlight-jp.com/matsutake/mt/mt-tb.cgi/388