アルバム『ピアノ・ア・ラ・カルト』を完成させた杉本卓也氏にインタビュー。1994年のデビュー以来、これまでに通算9枚の素晴らしいアルバムをリリースしてきた、実はキャリアの長い杉本氏ですが、メディアに掲載されたインタビューらしきものはほとんどゼロ。そこで今回、自身の過去・現在・未来を総語りしてもらいました。(聞き手:松竹 剛


- 今までインタビューってほとんどないんですよね?
杉本 インタビューらしき物っていうたらそれこそエレキングまでさかのぼるし。
- エレキングの何号に載ってんですか?
杉本 どやろ、ちょっと忘れたなぁ。でもエレキングの創刊号に一週間で何百曲とか何十曲かなんか曲作ってるみたいなことが書いてあった。そんなことないんやけど。
- 実際週何曲だったんですか(笑)?
杉本 えっとね、でも実際に考えると一日三曲くらいやってたから、一週間で二十曲くらいかな。あんまり録音のクオリティなんか全然考えてないから、普通にアナログのテープにどんどんどんどん溜めていって、そういうの昔から結構習慣的にやってたから、こんなヤマハの玩具のキーボード使ってたときから、ラジカセ前にこう置いて、直に録音して、そんなんでなんか手弾きでずっと六十本くらいのカセットは出来てて。そっからシンセ買って最初の頃はまだ手で弾いてたけど、だんだんなんか手で弾いてもやりたいグルーブとかそういう、なんか音のスピード感みたいなのが全然出てこーへんから、やっぱり打ち込みやなぁと思って、打ち込みやりかけてすぐの時のテープかな? それがWEB名義で2枚目のアルバムの『Classics』。
- へー。
杉本 そもそもはなんだっけ、「DELIC」っていう雑誌にカセットテープを送ったんや。ほんなら、そんときのライターの人に、なんか、「福岡のサイジジーっていうところが一番力になってくれそうなレーベルやから送ってみたら」って言われて、送って、それこそほんと送った二日後ぐらいに、丁度大学の夏休みに入ったとき位やったとおもうんやけど、朝電話かかってきて、んで、それ、親が最初とったんかな電話、うん、「なんかちょっと変な電話かかってきてる」みたいな感じやってん。「なんかちょっとうさんくさいで」って言われたけど(笑)、出てみたら稲岡さん(SYZYGY recordsのオーナー)やって。んで、早速その時点でそのテープのマスターを送ってくれって言われたんやけど、マスターがアナログテープやからとりあえず送ったけど、「これでは無理やからもう一回ちょっと曲を作ってもらわれへんか」っていわれて、同じのは無理やから作り直しますって言って出来たのがWEB名義としてのデビューアルバムの『Romance』。でもやっぱり、初期衝動みたいなのが残ってる方がええ、っていうて結局最初のテープもやっぱりレコードにしようって言われたのが『Classics』。
- で、その2枚を皮切りにいろんな名義で音源がリリースされるわけですよね。国内外から。イギリスのFATCATからのリリースってのもありましたけど、そもそもFATCATからのリリースの経緯っていうのは稲岡さん(SYZYGY records)サイドで全部話がついてたことだったんですか?
杉本 そもそもは、稲岡さんは海外のレーベルを呼んでのイベント開催とかが元々はメインやから、SYZYGY recordsを始めるきっかけっていうのは、それはスポットライトに似てるかもしれんけど、イベント+レーベルっていう連動するような形でやってたから、その時に大概まだ地方によって、パーティーの開けるグループっていうのは少なくて、SYZYGYっていうのは九州の方とかあっちの方ではそこしかないから、FATCATとかも当然。アレックス・ナイトとかああいう人たちが来たときには必ずイベントをオーガナイズというか、やってて、アーティストを自宅に呼んだりして交流を持つんやんか。その時に家でレコードを聴かせて気に入ってくれたっていう話があって、で、FATCATっていうレコード屋がレーベルを始めるっていう風なことを考えてた時に、最初に出すのにあんまり有名なのは出したくないってやっぱりあったらしくって、丁度よかったみたい。新曲を使いたかったらしいんやけども、新曲を送るのが遅かったらしくって、もう待ってられへんから、もう作りたいから、ライセンスの方でいくっていうのでその先に出してたSYZYGYのレコード(Dja-zz『EVA LP』)から出すことになったっていう。本当はライセンス形式で出す予定じゃなかって、新録の曲で出す予定やったんやけども。
- 曲は出来てたんですか?
杉本 曲は作りつつあって、送ったんやけどももう間に合わへんかった。オレは曲を稲岡さんに送るっていうことしか話を聞いてなかったから、締め切りまでにとかっていうのはまだ結構時間あると思ってたから、でも、稲岡さんとFATCATとの間でどういうことになったかわからんけども、ちょっと間に合わへんかったわ、っていうことになって、もう、あのレコードがものすごく気に入ってるみたいやから、あのレコードからでいくっていうことになったし、名前も、Dja-zzっていう名前ではちょっと、なんか問題があったんやと思うんやけど。
- どんな問題なんでしょうかねえ。同じ曲なのに別の名前で再リリースってのは。
杉本 わからん。なんか綴りの問題なんかわからんけど。
- そんな綴りじゃ発音できへんとか。
杉本 まあ、なんかそのへんの問題やと思うけど、WEB名義でやってくれって。なんか変な話やけどね。
- ミックスマスターモリス絶賛とかもありましたよね。あとなんとかチャート、あれ、何チャートでしたっけ。何かチャートに入ってましたよね。NMEでしたっけ?メロディメーカーでしたっけ。
杉本 メロディメーカーやったか、あ、ちゃうか、なんか忘れた。四十何位やった。それが後にも先にも具体的な数値で海外のレベルでみて、どこまでいったかっていうのが分かった。
- 他になんか誰々が杉本さんの作品気に入ってるで、みたいな反響とかあったんですか。
杉本 いっつも聞いてたんが、テツ・イノウエさん。テツ・イノウエさんはかなり評価してくれてたみたいで。あの人と直接話はした、かなー?したかしてないかのような感じで、稲岡さんとあの人は仲がいいから、あの人は今回のは良かったっていっつもいってるって感じで。あと、タンツムジークのオキヒデさんがよく、酔っぱらって「今聴いててすごくいいわー」って電話かかってきたことがあった。夜メシ食ってテレビみてたらかかってきて、向こうはすごい酔っぱらってて(笑)。
- で、98年くらいですか、それまでコンスタントに続いたリリースがそれ位の時期で一旦止まりますよね。
杉本 実際問題、凪名義のアルバム(『Michi』)が出た97年くらいの時期に、ピアノ・ア・ラ・カルト名義でライブをやったりとかしてた頃で、したっていうか一回しかやってないけど、あん時に某レーベルからピアノ・ア・ラ・カルト名義でアルバムのリリースっていう話がいっこあって、それでいけるかなーと思ったけど、その時に60分のDATを2本送ってたんやけど、でもそれがダメになって。
- その時期に杉本さんからもらった、その幻のDATからの選曲テープが最近ウチの押入から見つかりましたよ。
杉本 うそ!そんなんあったん。聴きたいなぁ。もう持ってへんねん。自分で。
- 渡しますよ。聴き直したら凄い良かったですよ。
杉本 あん時はまだ、今聴いたらどうかわからんけど、当時はまあ、あれはあれで良かったんちゃうかなと思っててんけど。
-

ちょっとドラムンベースっぽい当時の雰囲気が出てる曲もあるんですけど、ピアノの使い方みたいなんがやっぱ、このアルバム(『ピアノ・ア・ラ・カルト』)と通じるものが若干ありますよ。ピアノ・ア・ラ・カルトつながりで。

杉本 その時はなんでそんな名前にしたんかな。
- なんかね、当時杉本さん直々に説明を受けたような記憶があるんですよ。覚えてないんですけど。
杉本 それ以外にも当時色々なレーベルに作品渡したりしてるんやけど、結構その時やりたかった音っていうのと向こうが希望してる音っていうのがこう上手くリンクしなかったりして、何度も止まったなぁ。その間、曲作りのペースがすごく落ちてたのは確かやな。作るときは作るって感じやけど、つくらんときは全く作らなくて二ヶ月三ヶ月ほったらかしとか。そんなところで、一曲イルリメの「イるreメ短編座」に提供したトラックっていうので、丁度スポットライトのイベントでのライブ用に作った曲とかの、当時やりたかったことのテイストを初めて発表できたっていうのがあって。
- スポットライトでライブやってもらったのって99年でしたっけ?
杉本 多分ね、このCD出してない間で、何回かその、ライブだけの曲っていうのは作ってる。
- その杉本さんが活動を止めてた時期って丁度エレクトロニカとかIDMの台頭の時期とダブるように思うんですけど、杉本さんはたとえばエレクトロニカってものはどう思ってるんですか?
杉本 今?
- 今、まあ、最近エレクトロニカっていう括りがなんとなく出てきたわけじゃないですか。で、電子音が入ったような音楽やってると、望むと望まざると皆その流れに放り込まれてしまうと思うんですけど、そういう状況に対して杉本さんはどういうイメージというか、それに対してとる立場というか。
杉本 立場。
- 杉本卓也は何処にいるのか、というか。
杉本 最初にその言葉が出てきたときは、テクノという表現よりもいいわって思ったけども、今はやっぱり、結局音の幅を狭める言葉でしかないし、エレクトロニカっていうとミニマルテクノとかと同じように、こういう事をやったらエレクトロニカっていう様式美みたいになってしまってるから、やっぱりあんまりそういうプロモーションの為の言葉っていうかマーケティング戦略のための一つのカテゴリーには入れて欲しくないなぁとは思うし、そう言う意味で自分のやってる音楽はあまり、たとえば作ってる音は全部電子音でやってるけども、もうちょっとだけ距離は置きたいなあとは思う。敢えてアルバムタイトルにピアノっていう言葉を入れてるのも、やっぱり鍵盤楽器で作る音楽っていうことで、パソコンで作る音楽とも距離っていうのも自分では出していきたいなぁと思ってるのがあって。今はなんか、手法がすごく先行しててソフトがどうとかパソコンで作ることが簡単とか、エレクトロニカっていうのはそういうところから生まれてきたっていうのが、こう、ね。
- でも、杉本さん自身はエレクトロニカって呼ばれてもおかしくない音楽を結構一杯聴いてはりますし、DJでもプレイするじゃないですか。このアルバムにもそういうエレクトロニカ的な要素って結構あると思うんですけど、何か一般的なエレクトロニカとは根本的な質感が違うんですよね。機材環境の問題だけでは片づけられないような。そういう妙な距離感が面白いなと思うんですよ。
杉本 別にそう言う風に、なんていうの、なんて言うたらええんやろうな。客観的にチョイスはするけどね。その、その中でもおもしろいもの。エレクトロニカ的要素の中のおもしろいもの。エッセンスとしては使いたいと思うし。DJする時もそのままエレクトロニカを続けてプレイはせえへんよ。大体フレーズやリズムの流れをつなげていけるように、ジャズやタンゴ、歌モノも結構使うしね。
 
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