2015年12月05日 23:08

ベルギー発の80's低速低音ダンスミュージック「ニュー・ビート」をSoulwaxに学ぶ

One Nation Under A (Slowed Down) Groove.

ニュー・ビート、New Beat。日本語版Wikipediaには項目すら作られていない、忘れられた音楽ジャンルの話です。

90年代前半、自分は当時流行していたMinistryNine Inch Nailsなどのインダストリアル・メタル系のロックが好きで、小遣いを貯めて田舎のCD屋でアルバムを買って聴いていました。そのライナーノーツやレビューの中で、アーティストへの影響として毎回のように言及されていたのが「ボディ・ミュージック」と「ニュー・ビート」というジャンルでした。

ニュービート 画像ボディ・ミュージック(EBM)のほうは、インターネットがない時代の田舎でも、調べれば簡単にジャンルを代表するアーティストとして、Front 242Nitzer Ebbなどの名前に突き当たるので理解しやすかったのですが、ニュー・ビートのほうはサッパリわかりませんでした(深く知ろうとしてなかっただけかもしれませんが)。その後、中古レコード屋でニュー・ビートに分類されたレコードをいくつか聴いていく中で、自分なりに、ニュー・ビートとは「ボディ・ミュージックほどロックっぽくはないけど、テクノやハウスよりはロックっぽい80年代後半ヨーロッパの暗い打ち込み系ダンス音楽」「ニュー・ウェーブ風なアシッド・ハウス」というようなものと理解していきました。

ですが、最近ようやく気付いたのですが、その自分なりのニュー・ビートの解釈は、ヒップ・ホップのことを「カラオケに合わせて大声でセリフを吐く」ものと理解するも同然で、ジャンルの肝の部分の理解をまったく欠いたものでした。

ニュー・ビートの誕生のきっかけとされるのがDJ Fat Ronnieというベルギー、アントワープのDJで、小さなクラブでシンセポップと映画のサントラをミックスしてかけるようなDJだったそうです。1987年、彼がA Split-Secondというベルギーのボディ・ミュージック系のアーティストの曲「Flesh」のレコードを、本来45回転のところを33回転の、ピッチコントロール+8でプレイし、このサウンドがベルギーのDJの間で大きな話題になりました。

下の動画がそのA Split-Second「Flesh」を正しく45回転で再生した音声。

そして、A Split-Second「Flesh」を33回転のピッチコントロール+8で再生したものが下。

この「レコードの回転数を遅くして再生する」という手法がニュービートの肝、核心の部分です。

回転数を落としてプレイする理由はいくつかあるようで、まず「テンポが遅いほうが踊りやすい」。ベルギー人はクラブであまりドラッグをやらず、ビールばかり飲んでいるので、テンポの速いボディ・ミュージックやアシッド・ハウスで長時間踊り続けることができないから遅いほうが都合が良かった、というもっともらしい説もあります。ニュー・ビートのテンポの中心はBPM110くらいで、幅は90から115くらいです。そして次の理由は「回転数を下げると低音が強調される」。レコードの回転数を下げて再生すると音全体のピッチ(音程)が下がって低音が強調され、それをクラブの大音響で聴くととても気持ちいい!というこです。実際、ニュー・ビートのクラブでは音楽がフルボリュームでプレイされていたそうです。ベルギーには19世紀から酒場で自動オルガンを大音量で鳴らして踊る文化があり、ベルギーの人達は大昔から機械的に反復される大音量の低音が持つ魅力を熟知していたのかもしれません。あと、「曲調や音質がダークでホラーな雰囲気に変化する」というのも理由のひとつでしょう。

また、70年代のベルギーのクラブには、50-60年代アメリカのソウル・ミュージックやジャズなどのレコードを回転数を落としてプレイして踊るというポップコーン(Popcorn)という音楽シーンがあったそうです。ニュー・ビート以前にベルギーにはすでにレコードの回転数を落として楽しむ文化が根付いていたというのも面白い話です。

ジャンルが興った1987年にはニュー・ビートの曲を作るミュージシャンは多くなく、ニュー・ビートのDJたちはシンセポップやニュー・ウェーブのレコードを回転数を下げることでニュー・ビートのサウンドを作りだしていたのですが、1988年にThe Erotic Dissidents「Move Your Ass And Feel The Beat」、Confetti「Sound of C」」、Amnesia「Ibiza」といった曲がヒットチャートを巻き込んで大ヒットしたことをきっかけに、ニュー・ビートのクラブでかけるためのニュー・ビートのレコードが大量に作られるようになり、大ブームが到来しました。

ということで、ニュー・ビートのことを少しわかったような気になったことをきっかけに、最近はネットでニュー・ビートのDJミックスなどを漁って聴いていて、その中で素晴らしいものを見つけました。作者はご存知の、ベルギー出身のSoulwax(2manydjs)で、ミックスのタイトルは「This Is Belgium Part One: New Beat」。これは彼らがネット放送局「Radio Soulwax」で2011年に公開していた映像付きのDJミックス作品で、音を聴いて映像を見ればニュー・ビートの歴史、サウンド、文化的背景、ダンス、ファッションなど、ニュー・ビートのすべてがわかってしまうという素晴らしい内容です。

この「This Is Belgium Part One: New Beat」は全3回の「This Is Belgium」シリーズの第1回で、第2回「Cherry Moon On Valium」、第3回「Benelux」が続いています。

第2回「This is Belgium Part Two: Cherry Moon On Valium」は90年代にベルギーで多く作られた高速でハードコアなテクノを、BPM115くらいにテンポを落としてミックスしたもの。自分はこのミックスをニュー・ビートと無関係にちょっと前に見つけていて、昔のテクノを今の感覚で再構築したものとしてメチャクチャ気に入って聴いていたのですが、テンポを落としてミックスするという手法自体がニュー・ビートのオマージュになっていたということに、今になってようやく気付きました。音も映像も自分がここ数年聴いたDJミックスの中でトップを争うくらい大好きです。ミックス名にある「Cherry Moon」は当時のベルギーを代表するクラブの店名です。

第3回「This Is Belgium Part Three: Benelux」はベネルクス (Benelux) をテーマにしたもので、ベネルクスとは、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクという文化・歴史・経済を共有してきた3つの小国を総称する言葉です。ベネルクスで作られたロック、ポップス、シンセポップなど新旧の52曲をミックスしいます。これはニュー・ビートとはあまり関係ありませんが、まさに2manydjsの本領発揮という感じのゴッタ混ぜの楽しいミックスです。

ニュービート 画像ニュー・ビートに話を戻すと、1987年に誕生したニュー・ビートは1988年に大ブームを迎え、シーンを代表するクラブBoccaccioでは、遠方からやってくる来場客の車が多すぎるために、街への高速道路の入り口が閉鎖されるほどだったそうです。同時期のUKのアシッド・ハウスやイビサのバレアリック・ハウスと互いに影響を与えあうほどの大きな勢いを誇っていたニュー・ビートですが、ラッスンゴレライ、一気に大ブームになった物事の宿命か、1989年になるとブームは急速にしぼみました。ジャンル誕生のきっかけとなったDJ Fat Ronnieは、ニュー・ビートがブームになる前にドラッグ中毒でクラブをクビになり、その後に逮捕され、そのままシーンから消えてしまったそうです。ニュー・ビートに再評価の大きな波が訪れることはなく、すっかり忘れられた日陰の音楽ジャンルとなってしまいました。

日陰の存在になってしまった事情について、ベルギーの若手テクノ系ミュージシャンのPeter Van Hoesenが、ベルギー人の気質とからめて説明しています。

■ A Lesson on Belgian New Beat History with Peter Van Hoesen(electronic beats)

ベルギーは他の地域がやったように自らを売り出すことができなかった。ニュー・ビート、テクノ、レイヴが生まれ、人々がそれを体験し、猛烈に楽しんでいる時に、誰も「これを宣伝して盛り上げていこう!」とは考えなかった。ベルギー人はそういうことをやらない。ベルギー人は優秀なセールスマンではない。その時になると彼らは大局的な視点を持つのを忘れてしまう。デトロイト・テクノとの対照性は良い例だと思う。デトロイト・テクノは最初からマーケット化されていた。理解するのはとても明瞭で簡単だ。イギリス人達がデトロイトを訪れ、音楽を聴き、商売の才能がある典型的なイギリス人が「俺はこいつらをダンスミュージック界の大物にしてやる!」と言い、そのとおりにやった。ベルギーで起こっていたことを(イギリス人と)同じように売り出そうと考えた者は、ベルギーには誰もおらず、ベルギーのエレクトロニック・ミュージックについての文章はフラマン語とフランス語で書かれている(注:どちらもベルギーの公用語)。オランダ人とフランス人は読むことができるが、それでおしまいだ。

日本の状況と重なる部分が多くあるようにも感じられる、耳の痛い話です。

とはいえ、ニュー・ビートの爆発的なブームが起こったおかげで、ベルギーに強固なクラブミュージックシーンの土台(クラブ、レコード店、メディア、ミュージシャン)が築かれることになったことは間違いありません。その土台があったからこそ、90年代にはベルギーはハードコア・テクノやレイヴのムーブメントの中心地となりました。世界中のヒットチャートで大成功したベルギーのグループ、Technotronic2 Unlimitedのプロデューサーはそれぞれニュー・ビートの関係者ですし、R&S Recordsは元々ニュー・ビートのレーベルとして活躍しました。このニュー・ビートの土台は現在のEDMにもしっかりと続いていて、その象徴が世界最大のEDMフェスティバルのTomorrowlandだと言えるでしょう。でも、80年代後半から90年代前半にかけて世界を席巻したベルギーのクラブシーンの隆盛を知るPeter Van Hoesenのような世代のベルギー人にとっては、過去・現在のベルギーの音楽シーンへの国内外からの評価に対しての不満は大きいのだろうなと思います。

ベルギーといえば、ビール、チョコレート、ワッフル、フランダースの犬、タンタンの冒険、小便小僧あたりが有名ですが、くれぐれもエレクトロニック・ダンス・ミュージックのこともお忘れなく。

Text : 2015年12月05日 23:08

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